TOX 居場所


 いつからだろう、

 この場所を、手放したくないと思うようになったのは。




















 夢中で走っていたら、いつの間にか研究所跡だった。

 よりによってこんなところに逃げ込まれるとは、彼女―――エリーゼには辛いものを見せることになるだろうかと、ちらと後ろを振り返る。護衛任務の対象であるお姫様は小さな足で懸命に、多少ペースを合わせている俺についてきていた。自分が現在戦力外だとわかっているので、彼女はは戦闘や警戒を一切俺に任せて、さらわれた友達の姿を見つけようと観察に意識を注いでいる。昔のことは覚えていないようなので、気にならないのかもしれない。


「あっ! あの人たち…!」


 何か見つけたのか、と聞く前に、エリーゼの指差す先にチェック柄のぬいぐるみを確認した。吊り橋を渡っている闘技場で逃がしたアルクノアたちが、ぞんざいにぶら下げている。
 目の前に飛び出してきた魔物を一体斬り捨ててから、アルクノアにはこの距離では狙いを付けられないので、橋を渡り終えた彼らにとりあえず威嚇射撃をお見舞いしておく。やつらが足を止めている一瞬で位置と道順を把握し、敵と同時に行動を再開した。ここは岩壁の中を通る通路が多く射撃で仕留めるのに向かないので、あとは鬼ごっこの勝負になるだろう。


「しっかりついてこいよ、お姫様!」


 そう言って右手でエリーゼの手をとり、道順と駆け足をエスコートしてやる。彼女は一瞬驚いたようだが、自分の限界を少し超えそうなスピードについていくことに意識を集中させることにしたようだ。
 












(どうしてこんなに、必死になっているんだ?)



 自分で自分が不思議だった。

 俺はアルクノアの今回の作戦をまったく知らなかったが、ティポをさらうことがアルクノアに必要なんだとすれば、俺のやることはエリーゼを助けることじゃない。
 いつもは、上辺だけ仲間になって、それでも根はいつもアルクノアにあって―――
 上辺だけだと相手は気づいていない信頼関係を、いつもはどうしていたんだっけ?



(そうだ。いつもならここで抜けているんだ)



 面倒なことになれば、ふらりとどこかへ姿を消す。
 そうすることが、いつの間にか当たり前になっていた。
 それで相手が困ろうが、落胆しようが、傷つこうが、自分だけはぴんぴんしていて、何の未練も申し訳なさも生まれてはこなくなった。


 なのに今は、アルクノアを撃ってまでエリーゼたちを助けようとしている。



(どうしてだ?)





 その答えを考えようとして、ふとミラの言葉を思い出した。





『アルヴィンっ!!』



 あの時は、伝えられるだけ伝えた情報がすべて嘘だったとわかって、嘘をついたわけではないと必死に弁明をしていた。自分の所為ではないと自己弁護をしていた。嘘をついたということにされるのを恐れた。
 いい加減なことを言って騙すなんてことはよくやったことでもあり、手法でもあったのに。それに対する耐性も初めからあったかのように経験値は高かったはずだ。

 どうして、嘘をついたという形になったことがとても恐ろしかったのだろう?
 そもそもどうして、知っていることをすべて吐いたのだろう。

 人からは情報をもらい自分のことは煙に巻く、いつもの俺はどうして出てこないのだろうか。





『お前に任せるっ!!』





 あ、と思った。





(まだ、信じられているんだ)



 裏切って、冷たい目に晒されることは、とうの昔に慣れてしまった。
 面倒なことになる前にうまくかわす方法さえ、編み出してしまうほどに。

 だが彼らは、一度裏切っても信じてくれている。
 敵対組織の一員であったことが露見しても、なお傍においてくれる。
 そのことに妙に安心して、彼らに協力しようと情報を流したりしてしまった。





『もうアルクノアの仕事はしないって、約束してくれる?』


『わかった。誓うよ』


『よかった……』





 俺のことをうそつき扱いするのに、そのくせ、上辺だけかもしれない言葉は簡単に信じてしまう。





 なんて甘いやつらなんだろう。
 馬鹿らしく思うこともあったし、苛つきさえもした。
 だからと言って、傍に居たくなくなるわけでもないし、ましてや利用しやすくて好都合とか、そういう黒い考えも浮かんでこない。
 ただあるのは、今まで経験し得なかった、慣れない感覚―――





(そうか、俺は……)





 そんな奇妙な空間に、居心地のよさを感じているのだ。










 今からだって、裏切ることは簡単だ。
 俺の最終目標のためにはそうする必要だってあるし、そうする覚悟だってある。
 それは、何度もあって、慣れたことだ。

 でも今は、この場所を失うことを恐れるように、必死に約束を果たそうとしている。
 裏切らずにいたいと願っている。






 いつからだろう、この場所を、手放したくないと思うようになったのは。



 らしくない。
 少なくとも、今までの自分らしくはない。





 それでも、





(ここにいても、いいだろうか?)





 もうひとつの守りたい場所として、もうひとりの自分として。













「あ……あの」



 疲れているのか息も切れ切れに、後ろから声がかかった。



「アルヴィンは、昔の仲間を撃って、どうして平気な顔をしているんですか?」



 さっきの自問自答を見透かしたような問いに、思わず口元に苦笑が浮かぶ。
 今の自分のらしくなさを思い出し、なんとなく気恥ずかしかったので、前を見据えたまま、



「なんでって、俺たちは仲間なんだから姫を守るためには当然でしょーよ」



 また、場を誤魔化すような、曖昧な言葉を吐いた。


















(なのに……ざまあないな)



 その通路を曲がった先は行き止まりだと知っていた。
 だいぶ距離を詰めた鬼ごっこのラストスパートとばかりに、お姫様をを引っ張って角を曲がる。
 ―――目の前に算譜法(ジンテクス)の光が弾けたとき、詰めの甘さを思い知った。



「離れろッ」



 とっさにエリーゼの手を離した。と同時に身体が吹っ飛び、壁に嫌というほど叩きつけられた。ダメージが酷い。全身に激痛が走っている。手足が思うように動かない。
 姫は倒れた臣下の事など目もくれずに友達を持ったアルクノアへ飛び掛るが、いとも簡単に突き飛ばされた。俺を撃ったやつが今度はエリーゼに狙いを定めて、俺は意地だけでなんとかそいつを撃ち抜いた。もう腕はお姫様が回復でもしてくれないとあがりそうにないが、どうやらその一人を仕留めることはできたようだ。敵の手を離れ地面に落ちた武器から、精霊の化石が嵌まった黒匣(ジン)が転がり落ちた。



「返してくださいっ」



 銃弾に萎縮した残りの一人が動くより早く、エリーゼがもう一度ティポをつかみにかかる。今度は成功し、友達はエリーゼの手に戻るかと思われた。

 が―――アルクノアは、ティポから手を離す直前、中から何かを抜き取った。



「ティポ! 大丈夫でしたか…!?」



 ティポはエリーゼの腕の中に納まったが、敵は用は済んだとばかりに一目散に逃げていった。俺には追う気力は残ってないし、エリーゼはティポを起こすのに夢中だ。
 まあ、「エリーゼを頼む」と言われ、エリーゼの目的を達成する手伝いをし、それは成功したのだから、約束は果たしたことになるだろう―――そう思った。だから、逃げられたことには未練などを感じなかった。



 俺の考えと、エリーゼの期待を裏切る、甲高い声が響き渡るまでは。



「はじめましてー。まずは、ぼくに名前をつけてねー」










 干からびてしまうのではないかと思うほど涙を流し続けるお姫様を霞んだ視界に捕らえて、





(任せられた仕事、できなかったな)






 ミラたちに雇われた“傭兵”アルヴィンとして、そんなことが頭をよぎった。









リーベリー岩孔で離脱中の出来事想像。
やっつけ感満載なので矛盾か何かいろいろありそうです。
ミラたちのパーティは、“スヴェント家のアルフレド”としての居場所(レティシャさん) と、“アルクノアの一員”としての居場所 に続く、三つ目の拠り所になっていたんだろうなあとすごく思います。
台詞の一つ一つが、嘘っぽいのに、本音を語っているように聞こえる…。
「お前らが大好きだからに決まってるでしょーよ!」
リーベリー岩孔辺りから、(エレンピオスに帰ることを前提とはしていますが、)ミラたちの優先順位をだいぶ高いところに持ってきていたように感じます。