TOG 素敵な世界で目覚めたら


「アスベル」



 控えめなノックの音で、俺は執務机の上の書類から顔を上げた。
 ドアの隙間から覗いた顔は、クロソフィの名がよく似合う少女のもの。



「ソフィ。どうしたんだ? 入ってもいいぞ」

「お仕事、忙しくない?」



 顔を覗かせるだけで、入ってこないのは何故だろうと思っていたら…
 どうやら以前、「忙しいからあとにしてくれ」と突っぱねたのを覚えているらしい。
 俺は内心苦笑しながら、「大丈夫だよ」と手招きしてやった。



「ちょっと休憩にするから」

「うん。それがいい」



 猫のようにするりと、細い隙間を抜けてきて、ソフィは執務机を前にした俺の傍に駆け寄った。
 ……と思ったら、「フレデリックにお茶、もらってくる」と、踵を返して出て行ってしまった。

 自分の開けた扉をきちんと閉めていったのを見て、俺はまたくすりと笑ってしまった。

















………………………*………………………


 お茶を持ってくると言ったので、机の上を空けておこう…と、俺は執務机の上を片付け始めた。


 星の核での戦いの後、家に帰ってきた俺を迎えてくれたのは、母さんと、フレデリックと、使用人たちと―――領主として、こなさなければならなかった執務の山。
 毎日少しずつ崩してはいるが、なかなか減らなくて、しばらくは執務室に篭りっぱなしだった(その時、よく俺に会おうと執務室に来ていたソフィを突っぱねてしまったんだ)。
 その努力の甲斐もあるのか、今はすぐに済ませなければならないような執務は残っていない。

 とりあえず、さっきまで格闘していた書類の束を、適当な椅子の上にでも積み上げた。
 騎士学校時代を経て、子供の頃より掃除好きにはなったものの、未だこういうところで適当さが出る。
 ……まあ、お茶が終わったらまたすぐに執務に取り掛かるつもりだから、いいか。


 そんなことを考えていたら、背後でバンッと大きな音がした。


 驚いて振り返りながら、顔に風圧を感じた。
 今の時期は風が少し強く、書類が飛んでいきそうになったことがあるので、窓は開けていないが……



「………ソフィ」



 大きな音の正体と一緒に立っていたソフィに、俺は呆れたようなため息を投げた。


 彼女の両手は、お茶の用意が載ったトレイをバランスよく支えることに集中していた。
 トレイの上には、ティーカップがふたつと、紅茶の入っているであろうポットと、お洒落な皿に載った、クッキーの小さな山。……なんだか少し重そうだが、ソフィにはこれくらい、どうってことはないのだろう。
 それより……



「両手が使えないなら、俺を呼べばよかったじゃないか」

「ごめんなさい。わたしだけでも開けられるからって思って」

「ドアを『壊す』のは『開ける』と同義ではないと思うが……」



 そう、ソフィの横に転がっていた『大きな音の正体』。
 それ即ち、派手に蝶番が壊れた、執務室の扉だった。
 顔に感じた風圧はきっと、これが倒れた時のものだろう。

 子供の頃に何回か、あちこちの扉を蹴破っていたソフィに、俺やシェリアは一応注意はしていたのだが…
 やはり、考え方というのは簡単には変わらないらしい。


 慌てて壊れた扉を片付ける使用人たちを眺めながら、二人で苦笑いをしていた。










 隅に寄せてあった椅子を一つ抱えて、ソフィは執務机に寄ってきた。

 ソフィが席についた後、二人で同時にクッキーをつまみにかかる。
 ……母さんが作っていたのだろうか。執務の疲れを癒してくれる、ほのかな甘みが口の中に広がった。
 ソフィも満足そうに、ふたつ目に手を伸ばしている。



「ねえ、アスベル」



 フルーツティーを口に含めていると、ふとソフィが大きな目でこちらを見つめていた。
 綺麗な紫水晶の瞳に映った自分の瞳もまた、紫水晶のように見えた。



「ラムダはまだ、寝てる?」

「ああ……」



 ラムダ。
 リチャードも、ソフィも救おうとした結果、救うことになった存在。



「そうだな……まだ、反応らしいことは何もないが」

「そっか……」



 俺は、彼を救ったことを後悔はしていない。
 だが少し、不安になることがあった。

 ラムダは最後に、確かに「眠る」と言っていた。
 だが、俺が最後に見たラムダの姿は、光に溶けて、今にも消えてしまいそうだった……



(ラムダは今も、俺の中に留まってくれているのだろうか)



 いい方面でも、いっそ悪い方面でも、何らかの反応を見せてくれればいいのに。
 ……そう思っても、旅を終えてから、ラムダを内に感じることは、全くない。



「急にどうしたんだ? ラムダに、何か話でもあるのか」

「うん」



 ソフィはクッキーをつまみ続けていた手を止めて、そっと両手を胸の上に重ねた。
 瞳を閉じて、大切なことを思い浮かべるように。



「教えてあげたいの、ラムダに。この世界がどんなに素敵なのか」



 それは、ラムダが目覚めたら、俺もすぐに教えてやりたいことだった。


 星の核で、俺たちは『ラムダの過去』を垣間見た。
 戸惑い、悲しみ、絶望した、ラムダの過去―――

 俺がラムダを助けたのは、俺も同じような気持ちを味わったことがあるからだろうか。
 大切な人、大切な場所を奪われて、絶望に沈んでいた……
 そんな俺を助けてくれた、大切な人、友達、教官、幼馴染。
 彼らのような存在に、ラムダにとってのコーネルの様に、俺もなりたかったのだろうか。

 ソフィがラムダと話したいのは、自分が感じたことをラムダにも感じてほしいからだろうか。
 人らしいところが何一つなかった、戦闘兵器として生まれてきた自分……
 そんな彼女に素敵なこと――余計なことも混ざっていた気もするが――を教えた、仲間たち。
 俺たちのような存在に、ラムダにとってのコーネルの様に、ソフィはなろうとしているのだろうか。



「……そうだな。ラムダが目覚めたら、すぐに教えるよ」

「うん」



 そうして、人らしく、ふわりと微笑んで。
 次のクッキーを頬張りながら、ソフィは指折り数え始めた。



「あのねアスベル、教えてあげたいことが本当にたくさんあるの」

「ああ、ソフィが知ったこと全部、ラムダに伝えてやるといい」

「うん。ええとね、まず、空が時間によって色が変わるの。
ぼんやりした朝も、真っ青に澄み切ったお昼も、真っ赤な夕方も、夜のお星様も、全部きれい。
それと、砂漠はとっても暑いんだ。でも布を被っていた方が涼しいんだよ。
あとね、雪は白くて輝いていて、とっても冷たいの。雪合戦楽しかった。
あ、海はね、海辺の洞窟から見るのが一番きれい。でも花畑とか、船の上から見えるのも素敵なの。
それから―――」



「わたしの育てたクロソフィは世界一かわいい」

「ただの親バカじゃないか……」



 最上の笑顔でそう言いきったソフィと一緒に、俺も思わず笑顔になった。





 最後にふたりでご馳走様を言って、軽くなったトレイを持ってソフィは部屋を後にした。







………………………*………………………


「……さて、と」



 クッキーの食べかすが気になったので、再び机の上を片付ける。
 それから、椅子の上に適当に積み上げておいた書類を、再び執務机の上に戻す。
 扉を直す為に使用人たちもいなくなっていて、ひとりでは広すぎる部屋で、ひとりで小さく息をつく。


 ……静かだ。


 さっきまでソフィと楽しく話していた時間が、嘘のように。

 俺の内に『もう一つの生命』が眠っていることなど、嘘のように。




(いつまで眠っているつもりなんだろう)




 眠りから覚めるときというのは、ラムダが本来の力を取り戻した時を意味する筈だ。
 その時、ラムダが脅したように、俺の中で“ふたりだけの戦い”が始まるのかもしれない。

 だが、もちろん、その戦いに必ず勝てる自信が、俺にはあった。






(目覚めたら、飽きるくらいたっぷり聞かせてやろう)






 この世界がどんなに素敵で、消すには惜しいくらい美しいのか。





ED後、ラント家の執務室で。
ラムダっていつ目覚めるんだろう…というか、眠っている、んですよ、ね?
消えてないですよね…! 「消えたの?」という問いにソフィは「それとは違う気がする」と言ったから…。
アスベルたちが生きている間に目覚めて、たくさんたくさん、お話してほしいです。