か細い星明りだけが、一個隊隊長の部屋の中に薄い影を映していた。
光が暗闇の中に、ベッドに横たわった一人と、その横に佇むもう一人を彫りだす。
聞こえる音は、寝台の上から発せられる、彼の静かな深い呼吸だけ。
彼の寝息が聞こえることに何故かほっとすると同時に、この部屋に自分がいることが酷く場違いな気になった。
(何であたし、こんな時間までいるんだろう)
来たのは夕方だったはずなのに、彼を眺めているうちにいつの間にか太陽は姿を消していた。
久々に見た彼の、しかも寝顔である。旅の途中にはあまり見る機会のないものだった。
いびきが凄いのもあったし、近づいたら寝ぼけて何をしてくるか分かったものではなかったから。
でも、今の彼は酒が効いているのか、柔らかい布団に深く沈んで、静かに、安らかな寝顔を見せていた。
ともすれば、命の灯火が消えうせているような。
(…駄目だ、そういうこと考えると)
首をゆっくり振って、考えを打ち消した。
呼吸をしている、すなわちこの人は『生きて』いるのだから。
死んだのは、『彼』じゃない。騎士団長主席の肩書きを持つ男なのだから。
(こいつは、レイヴン)
改めて、彼の顔を窺う。寝人の表情が変わることは、よほど夢の内容が顔に出やすい人でなければそうなく、先ほどと変わらずであった。
これ以上、何もせずただボーっとしているのも馬鹿らしい。
そろそろお暇して、今夜は下町の宿にでも出向こう。
ため息を一つ吐いて、くるりと踵を返す。
(…こいつ、本当に体調が悪いとかじゃないでしょうね)
気になって、もう一度彼と向き合う。
片手をベッドに軋ませると身を乗り出して、あまり手入れをされていない黒髪に隠れた、痩せた頬に指先でそっと触れてみた。
(……冷たい)
息をしているのに、心の中で何回否定しても、この人の肌は相変わらず、死人のように冷たかった。
小さく伝わる振動は、人工循環器のものだろうか。そういえば、あれから経過はどうなんだろう。
考えをめぐらせていると、不意に呻き声。
もぞ、とシーツが動いたと気付いた瞬間、ぱっと手を頬から離した。
起こした、と思ったが、彼は少し身じろぎをして、また身を沈ませた。
…あまりに唐突で、自分の心臓の音がうるさく聞こえるくらいに驚いた。
同時に、何でこんなに驚いたんだろうとも思う。
(気付かれる前に、帰ろう)
さっと寝台から身を下ろすと、出口に向かって足を踏み出した。
――と思ったが、手首に圧力がかかった左手だけが置いていかれた。
振り返ると、いつの間にやら彼の右手がしっかりと自分の左手首を掴んでいた。
寝ているとは思えないほど、力は強い。でも、表情は窓のほうを向いてそ知らぬ寝顔。
どうしたというのだろう、と心配する気持ちが湧くと共に、どうやったら起こさずにこの手を振り解けるか術を考えていた。
そこに、小さな掠れ声。
「……リタ」
「!」
寝言にしてはやけにはっきり聞こえたその声の源はしかし、半開きで浅く息を吐いているだけである。
でも、気のせいとも思えない。そして、否定したくない自分がいる。
(呼び捨て、だった)
理解した瞬間に自分の体温が熱くなったのが分かり、彼の右手がさらに冷たく感じられた。
その冷たさが、とても心地よくて。
(…もう少し、いようかな)
とも思えてしまうほど。